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大盛会、言うことなし!

<RUN☆TM根岸トレーニング:内容『ロード周回と芝生周回のコラボラン』>
根岸森林公園ロードコースの一週は1,315m。この距離に685mを加えれば=2Kとなる。
この日のトレーニングはこのロード周回と芝生を交互に走る90分走。
ただし、無理に90分を強制するのではなく、60分でも30分でもよし。また途中で歩くも良し、うんと長く休んでしまっても良し。
     
この自由さが無いと「会社でがんじがらめ。家に帰っても自由が利かない。おまけに参加した先のトレーニングでノルマを課されては、あまりに働き盛りはかわいそう」ってもんじゃありませんか?
かと言って主催者は、気の抜けた走りは大嫌い。しかしそこに同じ方向を目指す走る仲間が大勢いる。こんな嬉しい環境って・・? 同じ境遇を理解し合える仲間って・・? それを理解しているラン仲間・・? そうざらにはありはしない。ところが根岸森林公園のRUN☆TMには、そうした人間同士の温かいつながりが満載!偶然に出会った仲間なのに、なんと雰囲気の良い仲間なのだろうかと。
      
確かにトレーニングそのものは、ある程度気持ちを込めて走り出さないと、この日の内容も走り切れるものではなかったはず。
走っている間中、ニタニタ、ペチャクチャやっているのが当たり前の皆さんには敷居が高いのも確か。しかし底の浅いRUNはすぐに飽きてしまうこともつきまとう。おそらく5年と持たないでしょう。
                 
<走るという動作に何を求めているのか?>
走るという行為は、はっきりと言うがファッションではない。スポーツなんです。スポーツとして捉えているから、本当の人の優しさもジーンとくる深みを伴って表出されるのではないでしょうか?
東京マラソンが火付け役となって、走る人が増えたが、相変わらず「走る人」は増えても「ランナー」は少ない。むしろ20~30年前と比べると「ランナー」はずいぶん少なくなっているように思う。
何を尺度にそんなことを言うのかとおっしゃるでしょう。20~40代男性で10Kを40分以内で走れるランナーが、走る人のパーセンテージから言うと、ガタ落ちに低いものに成り下がっていることからもはっきりと解る。
「お前の言うことは旧態依然だ!」と言うでしょう。確かにそうかもしれませんが、走りに対しての人間の潜在能力は、現今のぬるま湯的なRUNに対しての捉え方からすれば、「こんなものなのかなあ?」と思ったりしています。
               
                            
<大切なのは、どういう形でRUNと向き合っているか?>
冒頭に書かれている文章と、次の区切りから言っていることが、矛盾するというかもしれませんが、なにも全員が10K(テンケー)を40分を切れ!と言っているのではない。言いたいことは、走るという動作がその人の人生にどういう意味合いと効果を及ぼしているかだと思う。また、どういう形でRUNと向き合っているかでしょう。
少なくとも走った後のビールだけで終わりにしてしまうような浅薄なランニングには、走ること自体までもがビールの泡と化してしまう・・ただそれだけのものなのでは? それを「ランニング」とは呼ばない!   牧元

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